2024.12.13

地域支援機関とともに生産性向上に取り組む企業事例

様々な危機を乗り越えてきた地域密着型印刷会社の挑戦【ものづくり補助金活用事例】

事業所外観
事業所外観

ポイント

  • 写真製版業から企画・編集・デザイン重視の印刷業への転換と成長
  • 東日本大震災やコロナ禍の苦境からの再建努力
  • 補助金を活用した挑戦と地域印刷業界の将来を展望

茨城県水戸市を拠点に事業展開する株式会社メディアクロス水戸は、“地域を元気に”をスローガンに、地域密着型の情報誌の発行やポータルサイト『ぷらっとみと』を運営するほか、印刷・Webその他の幅広い販促支援を行っている。社員の半数はクリエイターという“企画・編集・デザイン重視の集団”だ。同社の高橋裕社長は、常に新しいことにチャレンジしてきた。本事例では、同社の様々なチャレンジの経緯やものづくり補助金活用に関わる取り組みを紹介する。

当社事業体系
当社事業体系
職場風景
職場風景

印刷業界の技術革新や大震災をきっかけに業態を転換

■写真製版業から“企画・編集・デザイン重視のクロスメディア企業”へ転換
当社は1965年に「タカハシ写真製版有限会社」として創業した。主な業務は印刷用の版を製作する写真製版業であり、印刷会社の下請けであったため、一般顧客との直接取引はなかった。
1990年代に入るとプリプレス(印刷の前工程)のDTP(パソコン上で印刷物のデータを制作)化が進み、製版専業者の需要が急速に減少した。この変化により、全国に約3500社存在した製版会社の半数が倒産・廃業した。残った多くの製版会社が印刷設備を導入する中で、当社は下請け体質から脱却し、直接クライアントと取引する元請け型のビジネスモデルへの転換を図るため、デザイン・制作部門を強化するとともに地域情報誌発行事業に取組んだ。そのために自社の営業力も強化していった。また、県内ではいち早くデジタル化・DTP化に取組み、ノウハウを蓄積した。
これにより、約5年間で売上を維持しながら、100%下請けからほぼ100%元請けへと移行することに成功した。また、デジタルコンテンツ制作やインターネットが急速に普及した時期でもあったので、動画を含めたCDコンテンツ制作やホームページ制作への取組みも開始した。当時、これらの分野に取り組む企業は地元にはほとんど存在していなかった。
2010年には、事業規模の拡大と業務内容の変化に伴い、社名を「株式会社メディアクロス水戸」に改称・改組した。

■東日本大震災の発生
2011年3月、東日本大震災により経営環境は大きく変化した。震災発生後の2年間で、顧客企業の倒産や規模縮小によって年商の約4割の既存売上を失った。
当社は、震災後直ちに新たな事業として、全国ぷらざ協議会の仲間が取り組むビジネスモデルである「住宅の新築・リフォーム販促支援事業の茨城版」に着手。震災で需要が拡大する分野と見込んでのことだった。こうした事業への取り組みや営業の更なる強化も図ることで、全体の売上減少は1割程度で食い止められた。また、当社では同業他社を解雇された人を雇い入れたケースもあった。
しかしながら、先行投資や人件費の増加により、震災後は3期連続で赤字決算となった。さらに、社員の増員と給与水準を維持するために借入が増加した。
そうした状況を改善すべく、2012年に印刷業務の内製化を図った。内部加工高を増やして収益改善することを目的とし、震災で罹災した社屋の修繕と同時に一部を印刷工場に改築し、印刷関連設備を導入した。この取り組みにより生産体制は強化されたが、その分、借入はさらに膨んだ。

当社製品例
当社製品例
当社が扱う情報誌
当社が扱う情報誌

経営力強化に向けて“ものづくり補助金”に挑戦

■地域の印刷業界における危機感から企業統合提案するも実現せず
2012年頃は、全国の印刷出荷額は絶頂期(バブル期)の9兆円から40%程度減少していたが、茨城県の数字をみると60%程度も減少していた。これは茨城県が、もともと東京が近かったことで、難易度・付加価値の高い仕事に取り組んでおらず、地域外に流出していたこと。難易度の低い仕事を各社が同様の設備で価格競争し合ってきたこと。そして難易度の低い仕事がネット印刷の格好の標的になったことで、地域外流出量が増大していたためだった。そこに震災による経済環境の悪化も加わり、一層の減少が予測できた。
こうした課題を解決するためには、企業の統合による生産設備の集約が必要で、統合により以下の効果が期待できる。
・生産性の高い設備への切り替え。
・非効率な設備を統合し、人材を効率的に配置することで従業員所得の増加。
・地域外流出していた仕事を取り戻す体制づくり。
これらを具現化することで県内の出荷高は飛躍的に伸びるはずと考えた。そのため地域同業者15社に統合を呼び掛けたが実現には至らなかった。

■当社単独での経営力強化開始~ものづくり補助金への挑戦と5度の不採択
企業統合が困難と判断した当社は、単独での経営力強化を図ることを決断。印刷の内製化に続き、製本設備や小ロット印刷設備の導入が必要になった。しかし、震災後の赤字解消に努力している最中であり、新たな設備投資の資金的なハードルは高かった。

そんな折、2014年に当社のメインバンクで認定支援機関である水戸信用金庫より、ものづくり補助金の説明会及び個別相談会の案内をいただき参加した。そこで紹介されたコンサルタントに依頼し、「製本設備の導入」を目指し、応募を行ったが、結果は不採択だった。2度目も同じコンサルに依頼するも不採択。3度目は自力で計画書・申請書づくりをしてチャレンジしたが不採択だった。4度目は異なるコンサルに依頼したが不採択だった。
5度目は水戸信用金庫から、新たにコンサルを紹介していただき「オンデマンド印刷設備の導入」を目指して申請したが不採択だった。

5度にわたるチャレンジで一度も採択に至らなかった要因として、高橋社長は「事業計画の革新性が弱かった。コンサル主導で作成を依頼してしまい、当社との対話が少なく、形式的に計画づくりをしてしまったことで革新性を表現できなかったことや加点要素の取り込みができていなかったことも採択に影響したかもしれない」と当時を振り返る。

■不採択でも設備導入は実行
ここまでの5度のチャレンジは不採択となったが、いずれの設備も導入に至った。事業計画をブラッシュアップする中で、従来は取り組んでいなかったアイデアやビジネスモデルを考えるようになり、また、収益シミュレーションを繰り返し行うことで、設備導入の必要性・意欲が高まったことにあった。その意味で「当時は採択には至らなかったが、ものづくり補助金へのチャレンジは事業計画立案等に有効だった」と語る。

■6度目で初めて採択される
6度目のチャレンジは「DM関連設備」。JAGAT(公益社団法人日本印刷技術協会)が主催する“DMセミナー”に参加し、DM事業の現状を確認、付加価値を産み出せる事業と判断した。
この時にサポートをいただいたのは、当時、水戸市産業活性化コーディネーターの山形哲治氏だった。山形氏は、水戸市内の地域企業を知り、企業経営を把握するために市内を飛び込みで巡回していた。高橋社長は、山形氏との対話する中で、ものづくり補助金の支援実績があることを知り、同氏主催の予算説明会・ものづくり補助金説明会に参加。山形氏は、支援する条件として“社長が計画を書くこと”を前提としていた。それまでのコンサルには、計画書・申請書づくりの殆どをお任せしていたが、山形氏は“一緒に作る”というやり方だったので、高橋社長も自ら書き、山形氏がそれをブラッシュアップする作業を繰り返した。面談は10回以上に及び、足りないところはメールでやり取りした。
その結果、初めて採択された。

■初採択の事業で成果を出し始めるも、コロナ禍で急落
この事業に取り組んだことで、それまでにはなかった“DMの印刷・加工、宛名印刷、発送の受注や封筒の宛名印刷から封入・発送の業務”を増やすことができた。封入物は印刷物なので、結果的に印刷受注量も増やすことができた。
これにより当社は、2019年7月からの期は途中までは月平均15%の売上拡大を達成した。「当時の印刷業界は継続的な減少傾向にあったので、当社の15%アップは優秀な成果だったと思う。」と高橋社長。
しかし、当該期の後半にコロナ禍となり、当社も大きな打撃を受ける。「逆に、DM事業に取り組まなければ、売上減少額はさらに大きなものになっていた。全体の収益を伸ばすことはできなかったが、維持できたこと自体が大きな成果だったと思う。」と高橋社長は当時を振り返る。

■コロナ禍での非接触型ビジネスモデルの構築(2度目の採択)
2021年は、コロナ禍により、販促関連、イベント関連の受注は激減した。当社は、雇用調整助成金などを活用しながら雇用を維持したが、積極的に営業することもできなかったことから、インターネットを活用した非接触型ビジネスモデルに取り組むことにした。
お客様がネット上で自らデータを入力し校正できるこの仕組みは、県内では先駆的であり、設備導入にあたってはものづくり補助金を活用することとし、DM事業同様に山形氏に協力を依頼した。コロナ禍で面談が困難であり、Web会議やクラウドのファイルをフルに活用し、結果、採択となった。当該事業は新たな顧客開拓と生産の効率化に役立っている。

■コロナ禍からの回復が進まない中での次のチャレンジ(3度目の採択)
2023年、コロナ禍は少しずつ収束に向かってきていたが、受注は一向に戻らなかった。当社は、雇用調整助成金が終了するまでに営業損益をプラスにするところまで回復させる必要があったため、ネットでの受注拡大、遠隔地顧客へのサービス体制強化と併せて生産性を高める計画を立て、その設備についてものづくり補助金に申請し、採択された。
当該事業は、開始したばかりであるが、新たな顧客開拓、既存顧客へのサービス強化、生産の効率化、品質安定化に役立っている。

ものづくり補助金等を活用して導入した社内の機械設備1
ものづくり補助金等を活用して導入した社内の機械設備
ものづくり補助金等を活用して導入した社内の機械設備2

地域支援機関のサポートとものづくり補助金で得られた効果

■補助金に関わる支援は採択させることだけではない
補助金申請をサポートした山形氏は前述の通り、事業者が主体で計画を策定することを前提とし、寄り添った支援を行っている。その上で、申請する事業者が“採択されやすい計画書にまとめ上げる”のは難しいということを認識した上で、「審査員はお客様であり、審査員へのCS(顧客満足度)が重要、プレゼンするような気持で!」と計画づくりの助言をしている。また、採択にとどまらず、事業実施後の実績報告書までも見据えた実効性のある達成基準や検証方法なども当初計画から織り込むように指導している。さらにその後の事業化状況報告書作成法の指導、作成フォーマットの提供も行っている。

■地域金融機関は、資金面以外にも事業者の本業を支援
メインバンクである水戸信用金庫は、ものづくり補助金が不採択であった設備投資に関しても、リース部門(子会社)を介して、導入を支援した。また、採択された設備は融資で支援している。
さらに当社の本業支援として、金庫本部からDM関連や印刷関連の発注をすることで支援している。また営業店からも、新規顧客の紹介(マッチング)をして、当社の販路拡大にも大きく寄与している。「高橋社長には平成20年頃にお会いして、その後、当金庫主催の経営セミナーで知的資産経営の講師もしていただいた。当時から社長の経営の姿勢は、共感できる。地域になくてはならない存在であり、次世代まで存続し、繁栄していただきたい。」と同金庫 経営支援部の坂本真一氏は話す。

■ものづくり補助金への取組みで得たもの
ものづくり補助金に何度もチャレンジすることで、事業計画の立案や書類作成、申請書類作成のノウハウを身に付け、それが事業再構築補助金申請でも生かせた。当該補助金は公募期間が短い中、自社で計画書・申請書を作成し、採択された。
「ものづくり補助金の制度があったおかげで、新しいことに積極的に取り組むことができた。それをもって大成功に至ってはいないものの、何もやらずにいる状態とは大きな開きがあると感じている。また、新たなチャレンジをすることで見えてくるものがある。それが次のチャレンジへの足掛かりになるというメリットもある。」と高橋社長は語る。

補助金活用で自社の課題解決を図りつつ、地域印刷業界の課題解決を展望

■これまでの取り組みを振り返る
コロナ禍が終息かと思ったら、今度は戦争・円安・物価高。印刷に使用する紙代はコロナ前と比較して1.5倍~2倍になった。コロナ禍から回復するどころかさらなる悪化が見られるのが業界の現状だ。この状況と比較すれば2024年を2019年比3%の減少にとどめた当社は健闘している部類に入る。
しかし、補助金で新たな事業に取り組み、新たな売上が増えても、既存事業の落ち込みの方が大きいというのが現状の経営課題である。

高橋社長は、これまでの取り組みを振り返り、「一歩踏み出すことで次の景色が見えてくる。ものづくり補助金は“踏み出す背中を押してくれる制度”。中小企業の経営は“丘を登っているようなもの”で、一歩踏み出すことで、丘の向こう側に広がる海が見えることがあるが、踏み出さないと丘の頂上しか見えない。」と評した上で、「ただし、広がる海に出ようとすると、船が小さすぎることや馬力が足りないことに気づかされ、結局は波打ち際でジタバタしている。」とも語った。
この背景として補助金で取り組んでいる事業が中途半端で留まってしまっていることがもどかしい面もあるようだ。例えばDM事業の場合、新型コロナのワクチン接種券は大きなビジネスチャンスだった。しかし、設備能力や人員体制の問題で受託できなかった。このように、新たな事業に取り組んでも、体制が中途半端なために前進できないという課題がある。だからといって受注の確約がないのに体制だけ整えるリスクは大きすぎるという悩ましさもあるようだ。

■地域の印刷業界の課題解決に向けて
地方の印刷業界には、印刷機が壊れたら買い替えしない(できない)。オペレーターの高齢化に対して若い人が育てられていない。後継者がいない等の課題がある。自社で印刷出来なくなったらネット印刷に外注するという意見も多い。高橋社長は、製造業としての印刷業がなくなってしまうと危惧する。

更に業界では、コロナ禍の間に社員が辞めた会社もある。「何もしない会社の将来性に不安を感じた」ことが理由のようだ。高橋社長は、「ここで辞めた社員たちは、若くてやる気のある人たち。こうした社員たちに希望を持たせるためにも積極的な取り組みは必要だ」と考えている。
当社のデザイン・制作は「財産」として強化してきた。山形氏も、「高橋社長は最初にお会いした時からしっかりした考え方を持っていた。クリエイターの生産性を向上させるためにソフトウェアの面でも投資している点でも他社とは違う。」と評する。
こうしたクリエイティブな人材や営業の強化は必須とした上で、「稼げる業界を作らなければならない。東京へ行かなくても、地元で十分な収入でやりがいのある仕事があるという状態を作る必要がある。そのためには、効率化できる生産部門はとことん効率化して競争力を持たせ、地域外に流出していた難易度の高い業務はすべて取り込める体制を整備し、次世代に必要な業務への取り組みを強化していく必要がある。地域事業者との事業統合を進める提案は実現していないが、地域の印刷業界において “集約が必須”だ。」と語る。

印刷業界という成熟市場において、常に新たなチャレンジを志向している当社の事例と、地域の印刷業界の課題解決をも展望する高橋社長の考え方は、市場が減退する他の地域で奮闘する中小企業や地場産業にとっても地方創生につながる取り組みとして参考になる。

株式会社メディアクロス水戸 高橋裕社長(中央)、水戸信用金庫 経営支援部 坂本真一氏(左)、元 水戸市産業活性化コーディネーター 山形哲治氏(右)
株式会社メディアクロス水戸 高橋裕社長(中央)、水戸信用金庫 経営支援部 坂本真一氏(左)、元 水戸市産業活性化コーディネーター 山形哲治氏(右)

活用した補助金
- ものづくり補助金
- 事業再構築補助金

企業データ

企業名
株式会社メディアクロス水戸
創業
1965年
従業員数
43名
代表者
高橋 裕 氏
所在地
茨城県水戸市酒門町 4269-6

支援機関データ

支援者名
山形哲治(元 水戸市産業活性化コーディネーター) 
支援機関名
水戸信用金庫
所在地
茨城県水戸市城南2丁目2番21号

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